Interview

「技術のトレンドが過ぎても、僕だけは待ってる」ANRI×QunaSys対談

株式会社QunaSys

「量子コンピューターってどんな見た目なんですか」と切り出した筆者に、「すごくカッコいいですよ!」とお二人そろって写真を見せてくれたところからこの取材は始まりました。お話を聞いたのは、ピュアな眼差しで量子コンピューター技術を見つめるANRIのベンチャーキャピタリストの鮫島昌弘(さめしま・まさひろ)さん(以下、鮫)、株式会社QunaSysの楊天任(やん・てんにん)さん。

株式会社QunaSys(かぶしきがいしゃきゅなしす)
2018年2月に設立。「社会の不可能の壁を傑出した技術で超越する」というミッションのもと、最前線の専門家が集い、量子コンピューター上で機能する量子ソフトウェアの設計を行っている。

暮らしの裏を支える量子コンピューター

──はじめに、事業について教えてください。量子コンピューターのアプリケーション開発とはどういうものなんでしょうか。

:正確に言うと、量子コンピューターのアプリケーションとアルゴリズムを開発・提供しています。例えば、機械学習ではもうアルゴリズムがあるのでそれを必要なことに当てはめればいいのですが、量子コンピューターは使うためのアプリケーションだけではなく、どう動かすかのアルゴリズムから考える段階なんです。現在の量子コンピューターはパワフルではありませんが、3年から5年後にこれまで全くできなかった計算が可能になることを目指しています。

──計算する対象はどんなものですか?

:現在取り組んでいるのは材料のシミュレーションです。例えばスマートフォンのディスプレイや、電気自動車のバッテリーなどの高機能材料のシミュレーションを行います。実際に暮らしていて実感できるとしたら「iPhoneの電池が長持ちするようになったな」といったような、暮らしの裏を支える場面が多いでしょうね。

──なるほど。鮫島さんは、もともと量子コンピューター領域に投資したいと考えていたのでしょうか?

:今後世界で立ち上がるであろう産業で、日本が担うべきものは何かと考えた時に、GoogleやIBMがハードウェアを作っていた量子コンピューターだという答えが出ました。これを動かす会社を日本にも作らなければ、と。

ケニアでの偶然の出会い

──すでに領域に可能性を感じていたんですね。お二人の出会いは?

:アフリカですよね(笑)

:投資先の会社を訪ねてケニアに行ったら、楊さんがそこでインターンをしていたんです。偶然にも楊さんが当時いた研究室は、僕が「会社を作りましょう」と持ちかけていたところだと判明して話が盛り上がりました。それで、帰国してから「焼肉を奢るから」と会う約束をしたんです。

:大学では量子コンピューターとは異なる領域の研究をしていたんですが、この時の勧めがきっかけでこの世界に入りました。

:何度か焼肉を奢って、その度に勧めましたからね。

:確かに焼肉に惹かれていた部分はありましたけど(笑)、新しい技術を実用化したいという想いがもともとあったのも大きかったです。色々な論文を読み進めるうちに、この分野は技術として面白いなと、どんどん興味が湧いてきて。

:この時に楊さんがすごいなと思ったのは、アフリカに行けてしまうくらいの行動力を持っているところはもちろん、量子コンピューターの領域を勧めてみたらご自身ですごい勢いで勉強し始めたところですね。気がつけば僕もキャッチアップできないほどの最先端の論文を自ら読まれていて、「これは行けるな」と感じました。

──会社を立ち上げられてからも、すごいなと思うことはありましたか?

:たくさんあります。まず、楊さんご自身の成長カーブ。会社設立初期には、企業相手の商談でひやっとする瞬間もありましたが、今はしっかりと提携をまとめられている。そして、まわりにすごい人が集まってくる独特のリーダーシップです。「俺が天下取るからついてこい」と言うのではなく、優秀なエンジニアの方々が「楊さんだからちょっとなんとかしなきゃな」と言いながら集まってくるのを見ていると、これが新しいリーダーシップの形なのかと感心してしまう。

:僕は「自分の言う通りに従って欲しい」という感覚がないんです。それよりみんなで方向性を定めて、同じ方を向けるように意識しています。ビジネスに関しても技術に関しても深い知識はありませんが、理解することはできる。理解して、統合していくことを大切にしています。集まってきてくれた、本当の天才と働ける喜びを噛み締めています。この業界では、大学の研究室を卒業した後、それ以外の分野に就職する人も少なくない。そんな中、研究に根ざした仕事を提供できている点にも意義を感じます。

技術のトレンドが過ぎても、僕だけは待ってる

──会社をやっていて苦労したり、危機を感じたのはどんな時でしたか?

:そうですね。技術そのもののキャッチアップにも苦労しましたが、市場ニーズを見つけるのに苦労しました。それも鮫島さんにアドバイスをいただいて、道筋を示してもらえたおかげで乗り越えられたんです。会社を立ち上げてからは、毎日がそういう苦労や危機の連続です。

:楊さんのいいところは、危機的な状況になってもメンタルに影響が出ないところ。鈍感力と言うんですかね。だから、僕らが道筋を立ててあげるだけで自然と軌道修正ができる。

──鮫島さんのアドバイスは、どういうものなんでしょう。

:会社の初期のフェーズでは手取り足取りサポートしてくれましたが、今は答えではなくヒントを示す形で導いてくれるようになりました。例えば先ほどの市場ニーズを発掘するのに苦労していた時、僕らがはじめに目をつけたのは製薬会社でした。けれどなかなかニーズが見つからず困っていたところで「バイオの領域ではこんな事例があるよ」「他の会社はこんなことをやっているよ」とガイドするように教えてくれたので、現在の材料にたどり着けました。鮫島さんだけでなくANRIのみなさんはそうやってアドバイスをくれるので、「伝道師のようだな」と心強く思っています。

──鮫島さん、いかがですか?

:アドバイスも大切ですが、もし起業家が投資家の言う通りにやって成功するのであれば投資家がビジネスをやればいいわけで、最後に決断を下すのは起業家なんだということを心に置いています。だから、「その方向に行くとこういう落とし穴があるよ」「他の道はこうなっているよ」とガイドするように意識しています。

──投資家として、アドバイスの仕方以外にも意識していることはあるのでしょうか。

:僕の価値が最も発揮されるのは量子コンピューターがトレンドでなくなった時だと思っているんです。機械学習技術のブームを見てもわかるように、技術には一定のトレンドのサイクルがある。おそらくもう少しすると、量子コンピューターにかけられていた過剰な期待が、普通に戻るか、場合によってはマイナスになる可能性があるでしょう。けれど僕は、少し辛い状況が続いたとしても、荒野に火を灯すようにポツンと立っている存在でいようと考えています。この技術は20年、30年後には必ず必要になるとわかっているので、「みんなお腹空いただろう、焼肉食えよ」って言ってあげられるような人でありたいですね。

「いつか」が、すぐそこに来ている

──QunaSysの未来について、どんな風に感じていますか?

:量子コンピューター分野の圧倒的なリーディングカンパニーになるでしょう。昨今の量子コンピューターの知名度の上昇には僕もびっくりしているんですが、その黎明期から日本のトップの研究者たちが集まって産業化を目指している、稀有な会社になると思います。世界の中で、量子コンピューターのハードウェアの基礎を築いたのが日本であったにも関わらず、実用化で出遅れるわけにはいかない。「QunaSysさえ生き残っていれば日本の量子技術は大丈夫」と言えるくらいの信頼を置いています。

:僕はこの3年で、量子コンピューターの技術で今までできなかったことを可能にするというマイルストーンを置いています。そしてその時に、ビジネスとしても成り立つ仕掛けを作る。この2本柱を追いかけています。

──3年後、思ったよりも近い未来なんですね。

:もうすぐそこに来ているんです。QunaSysが立ち上がったばかりの頃にお話をさせていただいた大企業の方のリアクションは、いつも「最先端の技術に取り組んでいて感心しますが、今はご一緒できないからまた話を聞かせてください」というものでした。それがこの間、楊さんのところに「以前のお話を、もう一度聞かせてくれませんか」と連絡があった。あの頃撒いていた種が芽吹き始めているのを感じています。


(写真・文:出川 光 校正:梅本 智子)

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